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一人暮らしの記録ブログ
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昨日の話なんですけどね、久々にものすぅぅぅぅっっっっっっごく頭にくることがありまして。
一晩寝たら忘れるかと思ったんですが、朝起きても思い出すだに無性に腹が立って腹が立ってしょうがなかったのですけど、今日夕方から買い物に行ったり、母上とメールしたりしてるうちにすっきりしてきました☆

それに明日はコンサートだしね(*^_^*)


いい気分転換だ。
これで、日曜日もただただ予習に追われてたとしたら、未だにムカついてたと思う。


コンサートに向けて、新しい靴を買ってきました♪
今回はクラッシックのコンサートなので、ゴスペラーズのライブとは違って動きやすさは軽視しました(笑)
明日も暑いらしいけど、楽しみです(*´ω`*)

クラッシックと言えば、ピアノコンクールで優勝した辻井さんの話題でテレビは持ちきりのようですね。
(たまたま私が見たテレビが辻井さんの話をしてただけかもしれませんが)
でも「目が見えないのに」っていう修飾語(?)を聞くたびに、どことなく上から目線な感じがして気になります。
目が見えない、とか、耳が聞こえない、とか音楽やる上で(日常生活においても)ハンディキャップになるのはそうなんだろうと思うんですが、目が見えてようが、耳が聞こえてようが、国際コンクールで優勝するってそれだけですごいのに、あえて盲目であることを強調する必要はあるんだろうか。
古くはベートーベンやバッハ、最近だとフジ子・ヘミングとか、ちょっとジャンルは違うけど、レイ・チャールズやスティービー・ワンダーもそう。
人間の五感のうち、どれか一つがうまく機能しない人の方が、他の感覚が研ぎ澄まされて、繊細な感性と豊かな表現力をもつんじゃないかと常日頃思ってるんですが。
今回のマスコミの辻井さんに対する扱い方に、「かわいそうな人なのに頑張ってて偉い」というようなニュアンスが込められてるような気がしてしかたがないのは、私が偏屈だからなんですかね。




ついでだから昨日のムカついた話も記録しておこう。




講義が終わって、クラスの人と話していた時、どういう話の流れだったか、

「実際、冤罪はしかたないでしょ」
「冤罪になる方にだって、疑わしいところがあったから有罪になったわけだし」
「冤罪がこれだけ大々的に報道されるのは、冤罪の数自体が少ないから」


というようなことをクラスの人に言われました。
その人は検察官志望だと聞いて、完全にプチんときました。
私は、顔は笑って、冗談めかして
「じゃぁ、一度、無期懲役になってみればいいよ、死刑になってみればいいよ」
と言いましたが(言う直前と言った後、やっぱ「死刑になればいい」は言い過ぎだったなと反省;)、
心の中は煮えたぎってました。
唖然としたし、がく然としたし、ショックでした。

特に、最近は足利事件の報道があったばかりで、菅家さんのあの会見を見て、上のような発言が出たのだとしたら、あまりにも鈍感というか、想像力、人権意識に欠ける発言ではないかと思ったのです。
人の一生を直接左右する仕事を志す人間が思っていいことじゃないと。
よりにもよって、こんな人間が国家権力をふるって、人の身体・自由を拘束し、本人の誇りや家族や、社会的名誉などの何十年にもわたって築いてきたもの、これから築いていくであろうものを壊していいわけがない。

冤罪事件が許されないのは、無実の人が有罪にされるということ、つまり、懲役刑が科されたり、最悪死刑になったり、家族も苦しめ、社会からも犯罪者扱いされるということが第一点ですが、
第二点として、真犯人を野放しにしたまま捜査が打ち切られる、という点にもあると思うのです。


上の発言はそれら冤罪の弊害を全く視野に入れていない発言だったと思います。
検察官は被害者の代弁者であると同時に、公益の代表者でもあるわけです。
だから、犯罪そのものの真実の発見と、真犯人に法にのっとった、真実に見合う刑罰を裁判所に要求することが仕事です。
そして、真実の解明を目指す以上、目の前の「その人」が本当に犯罪を犯したのか、無実の証拠をも合わせて収集しなければならない立場にあると考えます。
本当は初期捜査に携わる警察官にもそれは要求されるんですけど、検察官はその最後の砦だと思うのです。
弁護人(弁護士)は当然全力で被告人を弁護しますが、捜査権限が与えられているわけでもないし、特に国選弁護の場合、時間的にも経済的にも検察官とは対等では無いと思います。

犯罪が起きて、被害者が苦しんでいるのは間違いないけれど、検察官の目の前にいる「その人」が真犯人かどうかは分からない、そういう気持で捜査に臨んでほしい。
検察官の言い分もわからないではないし、犯罪を犯すくらいの人なら平気な顔で嘘もつくかもしれない。
でも、「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」の精神は忘れてはいけないと思う。

すごく大雑把な話をすると、冤罪の可能性を恐れて真犯人を逃した場合、社会的なマイナスは、
刑罰も受けず真犯人が社会で安穏としているということ(A)、
再犯があるとすればその被害(B)でしょう。
逆に、真犯人を逃してしまうことを恐れて、無実の人を罰した場合、社会的なマイナスは、
A・Bに加えて、
無実の人の時間・自由・名誉・社会的地位・家族・・・その他さまざまなものが破壊される(C)訳で、
社会的には冤罪を出す方がマイナスだと言えるのではないかと思うのです。


「報道されないだけで、冤罪ではないかと疑われる事件はたくさんある」
「警察が鹿児島の事件のように事件をでっちあげることもある」
「刑事訴訟法は無実の人を罰しないための法律だよ」

と反論したら、「人権派だねぇ~」と茶化されました。
ものすごく殴ってやりたかったけど、殴らなかったのは、ぐっとこらえることができるようになったからで、今思い出しても本当に腹立たしいです。
法律は人を幸福にするための道具
って、実務家の先生は言いました。本当にそうであるべきだと思いました。
そして、法曹三者はどんな人よりも人権感覚に敏感でないといけないと思います。
人の一生を左右する権限が与えられているのに、その人の立場になって考えることができない、共感する力や想像力に乏しい人間にはなりたくないな、と思います。
そして、今の法制度も完璧ではない以上、よりよいシステムへと変える努力をし続けるのも仕事の一つだと考えています。

だから、「人権派」じゃない法曹なんて、あり得ないと思う。
法律を使って、どうやったらみんなが幸せになるか考えるのが仕事なんだから。
そして、今の実務が人権保障に不備があるのなら、改善していくことも必要だと思う。
「実務はこうなってるんだから、それに従え」
という発想では、いつまで経ってもよくならない。


自分の考えが多分に理想主義的なのは分かっているつもりですが、理想を捨てたら、人の進歩なんてなくなるとも思うのです。
人はより高みを目指して向上していくものでしょう。


本当に検察官になろうとするなら、無実の人は絶対に罰しない、というスタンスで臨んでほしいものです。
少なくとも「冤罪がでちゃってもしょうがない」なんて思いながら日頃被疑者に接してほしくないし、それで国民の税金からお給料をもらって欲しくないです。
被害者の味方だと言いながら、加害者になるようなことはしてほしくないです。

一般社会がこれだけ冤罪に敏感になっている時代に、そういう発言をするということに、驚き、がっかりしました。

そして、一晩寝ても、頭の中でぐるぐるぐるぐるぐるぐるしてました。


今日夕方くらいまで、ずっと怒りの炎がくすぶってたんですけど、買い物とかして気分転換できて、ようやっと落ち着いてきました。
よかった。ほかの科目の教科書読んでても、ふと怒り再燃!って感じで手につかなかったので。

ただ、私のその人に対する印象というか、評価、は「所詮、その程度の人」というレッテルが貼られてしまったのだけは間違いないです。
話すのもめんどくさい。


っていうか、学校に行ってたびたび感じるのは、保守的で、「長いものには巻かれろ」的な人が多いということ。
試験に受かる公式っていうのが、たぶん厳然と存在していて、それはどっちかというと権力におもねるような結論になりやすい気がするんですが、それを無条件に受け入れている人が多いなぁと感じます。
通説だから、判例だから。というような。
そりゃね、試験に受からないと「弱い犬ほどよく吠える」って話になっちゃうんですが、現在の通説の問題点とか、より望ましい結論を導くにはどうしたらいいか、ってところは常に考えていたいな、と私は思うのです。
そのうえで、試験合格用に長いものに巻かれようと思ってるところです(苦笑)

なので、自分が異端なんだと、最近よく感じます。
そして、自分が採用する論理構成の問題点は先生が指摘してくれるので、試験に臨むにあたって、異端のままでいいのか、長いものに巻かれた方が無難なのか、もなんとなくわかってきました。
道は険しいけど、やらねばなーって感じです。



BGM: Skoop On Somebody “Nice'n Slow”





タグ: 日記 ひとりごと 学校

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無題
私が、この仕事に就く時の試験に、作文があってね、私は、一般教養とか適正試験では、テンで駄目だったと思うんだけど、その作文で点が取れたのかなと思ってる。冤罪の「免田事件」について書いたの。稚拙な物だけど。きっとそのテーマで書いたのが私一人だけで、珍しくて合格だったのかな。なにを書いたかって言うと、「門を閉ざしてはいけない。」というような事。(抽象的だったけど…エッセーだったけど…)
どうして冤罪事件が起きるのか、一番最初の、警察の捜査、「挙げればいい」という体質がないか?スピード違反の取締りを例にとっても、警察官に検挙率を求めていないか?取調べの密室。
警察予算の多くが公安警察に行っているらしいです。それで最後の最後の、裁判所。最高裁判所の裁判官の任命権者が誰か、と考えると、やっぱり選挙って大事だよね。
人間ってさ、怪しい行動する者だよね?みんな疑われそうなことするときあるよね。それから、K
察はハメルシネ。
コンサート楽しんでおいでね。
人間て犯罪も犯すけど、音楽も生み出す、ね?
あーやん 2009/06/14(Sun)10:00:13 編集
>あーやん
ほんと頭にきたし、世間であれだけ騒がれていることの意味を分かってるんだろうか、と思ったんだけどね。
今、検察官のドキュメントを読んでいるけど、すごく正義感にあふれて、被害者のために頑張ってるな、とも思うけど、やっぱり肝心なところがずれているように感じるよ。
誰でもそうだけど、常に自分が正しいか、間違ってないか、って疑ってかかるくらいじゃないと、簡単に道を踏み外すなーって思った。
特に、こういう組織の中に入ってしまうと、意識しないうちに染まっていくっていうことがあると思う。
しかも、相手は「犯罪者」で自分の方が「正義だ」って思いこみやすいだろうし。
取調べの全面可視化に消極的なところに、自分たちの捜査手法に対する後ろめたさが表れてるんじゃないかなーって思うよ。
藍ちぃ 2009/06/14(Sun)23:51:59 編集
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