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ゴールデンウィークも折り返し地点。
ちょうど1年前の今日、朝っぱらから比叡山登山して、夕方からびわ湖ホールでゴスペラーズのライブを見たんでした。
まるで昨日のことのように思い出します。
で、帰ってきて最初に目にしたニュースが忌野清志郎の訃報でした。
…ほんと、1年ってあっという間だなぁ。
今日はお昼からNHK-FMで“今日は一日清志郎三昧”を聴いてます。
教科書読む手がいちいち止まる(笑)
ついさっき、トータス松本が“僕の好きな先生”を歌ってました。
すっごい良かった。
忌野清志郎の歌は、何気に歌詞がいいと思う。
生で見に行く機会がなかったわけじゃないのに、「いつか行こう」と思って行かなかった自分を後悔してます。
“毎日がブランニューデイ”
おなかが落ち着くまで、昨日の選挙の話でも。
昨日、京都府知事選投票してきました。
で、今日結果をみたのですが、投票率の低さにびっくりしました。
投票率:41.09%
結果そのものより府民の半分も投票に行っていないという事実に正直がっかり。
北海道知事選だって、決して高いとは言えないけど、64%はあるわけで、知事選挙というのは、いわば自分が住んでいる地域の行政の総責任者を直接選ぶということですから、投票率にはある程度、“自分の住んでいる地域のあり方”というものへの関心の度合いがあらわれると思うんですけど。
投票を棄権する人の中には「どの候補者も知事にふさわしくない」という考えの方もいるかもしれませんが、それなら白票で投票する方がよっぽど地方行政への意思表示になるんじゃないのかなぁと思います。
今回当選したのは現職の知事ですが、得票数を見れば全有権者の4人に1人の支持しか得られていないということで、これで「府民に選ばれた」といえるのかは疑問。
屁理屈をこねれば、4人に3人はこの人を支持していないということになるのでは、と思いました。
くわえて、自公民相乗りというのも疑問。
ただ、「京都は“自民 対 非自民”ではなく、“共産 対 非共産”なのだ」と言っている人がいて、それはなるほどなぁと思ったり。
地方政治にどの程度政党政治というものが妥当するのか、よくわからない部分ではあるのですが、都道府県レベルでこういう相乗り候補が当選する現実をみると、政党の存在意義ってどこにあるんでしょうと不思議に思います。
自分たちの住む地域の在り方を自分たちで決めるという、直接選挙による自治の形態はとても原始的な民主主義のかたちで、投票の結果が自分たちに直接返ってくるという意味では、国政選挙より一票の持つ重みは大きいのではないかというのが常々考えていることで。
それだけに今回の投票率の低さは国民の政治に対する意識の低さに思えてしまって、これで本当に民主主義国家といえるんだろうかと暗~い気分になりました。
政治的な思想はどんなものであろうと自由で、いろんな意見がある方が見えてくるものがあっていいと思うんですが、そもそも関心がないんじゃお話にならない。
やっぱり教育によって変えていくしかないのかなぁ。
いい加減な政治のつけは自分たちの次の世代にしわ寄せが来るんだってこと、将来「あの時あんなのに投票したからこんなことになった」と子どもや孫に言われないように、その時その時で真剣に考えなきゃいけませんな。
おなかがだいぶこなれてきた(笑)
あと3時間くらい頑張って、早寝早起きすることにします。
タグ: ひとりごと
またまたぁ~、御冗談を。嫌がらせにしたって悪趣味だよ。
と思ったんですけどね…
お爺さんになったマイケルなんて、想像できないと言えばそうなんですが、でも50歳は若すぎる。
そして、ツアーを目前に控えていただけに、歌いたかっただろうなあと思う。
なんか、世界中に自分は死んだと思わせて、南の島あたりで楽しく過ごしてそうな気がしちゃうんだけど、きっと本当に亡くなったのだろうなぁ。
命って儚いね。
ネットの書き込みで、
清志郎が「おぅ、マイケル~!!」って手を振ってるよ
的な書き込みがあって、ちょっと笑っちゃいました。
これからもいっぱい聞いていこうと思います。
いつか生で見たいと思ってたけど、それはできなくなっちゃったけど、私の記憶からは絶対消えないエンターテナーの一人です。
弟も「もうショックでやりきれないから」とメールを送ってきました。
弟に頼まれて、今日の某局の特番を録画したのですが、あんなにひどい番組は初めて見ました。
人を食い物にしか考えてないのだと、怒りを通り越してあきれる内容。
たくさんのいい曲があるので、偏見を持たずに聴いてほしいと思います。
聴いたうえで、それでもやっぱり、嫌いっていうんなら、それはその人の自由だもの。
自分で確かめもせず悪口を吹聴するような人は好きじゃない。
マイケルの曲の中でも特に大好きな曲
Michael Jackson “Man In The Mirror”
だよな~、って思う、定額給付金の話。
ついに日記のネタがなくなった(笑)
今日、ジムでバイクこぎながらニュースを見てて思ったことなので、支離滅裂;
あとソースはできるだけ信用性のあるところを参照しようと思ったんですが、Wikiとか微妙なのも混じってます(苦笑)
税金で、国民一人当たり1万2千円(18歳以下、65歳以上の者には2万円)が配られるっていうあれ。
事業費は2兆395億13百万円
うち、事務費が825億13百万円
つまり、みんなに1万2千円を配るために、825億円の費用がかかるということ。
これだけ見たら、なんてばかばかしい話なんだ、と思うんですけど。
2兆395億円もあったら、他にもっと有効な使い道がありそうな気がするんですが。
景気後退下での住民の不安に対処するため、住民への生活支援を行うとともに、あわせて、住民に広く給付することにより、地域の経済対策に資することを目的とする。
っていうのが目的なんだそうですが。(総務省・定額給付金給付事業の概要 より)
まず、生活支援というなら、1万2千円は大した支援にはならないと思います。
1万2千円配られることで、瞬間的には生活に余裕が出るように見えるけれど、それは恒常的な収入増を意味するわけではないし、職業訓練をしたり、資格を取得したりするには全然足りない金額。
ネットカフェから脱出しようにも、1万2千円では安宿でも3泊すれば終わり。
アパートの敷金、礼金には遠く及ばず、安定した生活の基礎にはならないでしょう。
もちろん、少しでも援助が欲しいという、気持ちもよくわかるのですが、やっぱり、「支援」と言える金額ではない。
次に、地域の経済対策という点ですが、かつての地域振興券の場合、経済効果としてはGDP全体の0.04%を押し上げた、らしい。(地域振興券 wiki 調べ)
この数字をどう評価するか、っていうところはまだ分析が必要なんですが、たぶん今回の定額給付金も同程度の効果しか得られないものと考えられます。
1万2千円をパァ~ッっと遣うっていう人ばっかりじゃないと、経済効果があったとは言えない訳で、現状の一般的な家庭における定額給付金の使い道が、普段の食費などの生活費のタシになるならば、経済対策という点でも不十分な施策であると言わざるをえないと思います。
ってことで、馬鹿馬鹿しさに拍車がかかってるよなぁ、と思う定額給付金。
収入にかかわらず一律っていうところもね、お金持ちの人には1万2千円はハシタガネだし、日々の生活に困ってる人たちにも1万2千円は大金ではあるけど、生活のタシにはならない。
なんとも中途半端、というか、意味不明なお話なんだよなぁ。
お金配れば国民が喜ぶと思ってるんなら、バカにするなと腹が立つし、
これで選挙に勝てると思ってるんなら大間違いだと思う。
でも、これで支持率が上がったりしちゃうんだろうか・・・
喜ぶ国民もきっといるんだろうなぁ…
報道も最近は議員の誰がもらって誰がもらわないか、って話(首相からして話が二転三転)ばっかり報道してるけど、もっと前から国民の議論を喚起しようとしないところは、裁判員制度にしてもそうですが、やっぱりジャーナリズムとしては物足りないにもほどがある。
で、ここまで話してきて、やっぱり定額給付金には反対、というか、アホらしいとしか思えないのですが、いざ自分にも給付されますよ、という話になると、1万2千円は大金なのです。
欲しいなぁと思う自分もいる。
いやいや、そんなアホらしい話にのるもんか、国民をバカにするな!っていうプライドがないわけじゃない。
もらわない、という手もあるんですが、いっそもらって、全額ユニセフとか地雷除去活動に寄付しちゃおうか
と思ったり。
でも、教科書代が浮くなぁ~(*´∀`*)ってふと思ったり。
結局自分はどうしたいのか、って言われると微妙なんですよねぇ。
「そんなもんイラネ(`∀´)」って言ってみたい。
BGM: 井上陽水 “誘惑”
なんて、今の私にぴったりなタイトルだ(笑)
タグ: ひとりごと ニュース雑感
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